2011年4月6日水曜日

便利になりすぎた国にっぽん

1月に、オーストラリアに住む大好きな友人が、
日本に里帰りしていた。

彼女は、日本人で、現在はオーストラリア人のご主人と
娘、息子の4人でゴールドコースト近郊に住んでいる。

今回は、1日しか会うことができなかったが
久々に、一緒にショッピングしたり
話して、大いに笑ったりもした。

遠くに住んでいるが、
私には、生涯かけて大切な友人だ。

その彼女も、
日本を離れて10年になる。

新宿を一緒にショッピングした際に、
彼女は、しきりに
「素晴らしい!」を連呼。

日本文化的な商品も魅力的だったようだ。

でも、それ以上に

たとえば・・・シャーペン

日本では今、
芯がくるくる回って、常に書きやすい状態のものや
ネックがシリコンのようなやわらかい素材で包まれ疲れにくいもの
振ると芯が出てくるもの・・・などなど

彼女の言葉を借りると
「便利グッズ」が出回っている。
あくまでも彼女の言葉だが、
「オーストラリアじゃ、国をあげて、シャーペンの種類なんて
1種類か2種類ぐらいしかない」と言う。
言葉の使い方が変なのはおいておいて、
少なくても、日本のようなカラフルで機能的で、
数え切れないほどの種類があるという状態からは
かけ離れているのは確かなようだ。
日本人は、最初はいいねぇと思っていても
すぐ当たり前になり、もっと楽できたり便利なものが開発され販売される。

もうひとつ・・・ほか弁屋さん

店内には、たくさんの惣菜がグラム単位で少量から買え
見本のお弁当は10~20種類程度、全て本物そっくりの見本がならび
わかりやすくディスプレーされている。
彼女はこれにも「素晴らしいー」と・・・

見かけは全くの日本人の彼女が
ほか弁屋さんで大きな声で
「素晴らしいー」と連呼するのだから
一緒にいる私は恥ずかしいやらなんやらで・・・
でも、こちらも笑いが耐えない。


日本人の当たり前は、先進国の中でも
ずば抜けて
便利で、親切でなもののようだ。

そんなことを、今思い出して感じること・・・

「便利になりすぎた国にっぽん」
私たちは麻痺してたよね。

子どもだった昭和40~50年代
どんな暮らしだったかと思い返すと、
今、電力を節約する生活よりもっと厳しかったよと感じる。

コンビにもないし、夏場はエアコンより扇風機が当たり前。
暑い中、アイスキャンデーを食べるとおいしかったり
寒いときは家の中でも重ね着したよな。

五感がふるに生かされた生活だったと思う。

今は、魔法瓶のような一定温度に保たれた空間に生活することが多い。
人間の五感なんて、すぐに退化しそうだよ。

現在、国内の発電電力量のおよそ4分の1を原発に頼っているらしい。
今日も、計画停電が無いということは、
夏場のピーク時の為に、今以上の電力を確保しなくてはいけないんだよね。

エコエコといっているときは、
さほど関心の無かった人も、
さすがに今はそれ以上の危機感を持っている人が多いと思う。

やっぱり、原発は、やめられないのかなぁ・・・
なくなってほしいなぁ・・・
青森県の六ヶ所村に使用済核燃料の再処理工場を作ってたよね。
福島と同じようなこと、おきたりする可能性ないの?
地中深く埋めるって言うけど、安全の保証なんてあるの?
未来の人たちに、こんなとんでもないゴミ残していいの?

ナショジオに、ボラボラ島の島国新エネルギーなんて記事あったけど
このようなこと、日本じゃできないの?
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2011040603

もうちょっと、私も勉強してみよう。
今のままじゃ、よくわからん。

「便利になりすぎた国にっぽん」

なんだか、とりとめがなくなってきてしまった・・・(^^;

日常生活のあり方を考え直している人はたくさんいると思うから、
これからは、みんなで考えていける世の中になるといいね。

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