2011年3月9日水曜日

自立するということ

私は、大学を卒業し就職する際に家を出た。


引越し先は、さっさと自分で決めてしまい、
親の援助は絶対に受けないと宣言し
新たに生活を始めた。


初めてのボーナスで、ようやくエアコンだけは買い、
次のボーナスで、やっとビデオデッキを買った。
とにかく、贅沢する余裕などまったく無かったが、
親から自立できたことに、自分でも満足していた。


と、若い頃はずーっと思っていた。


でも・・・


結婚し、子どもを育ててみて
自立は手段であると思うようになった
生活できる経済力、
ひとりで日常の家事がこなせる生活力、
誰かに頼らなくても生きていける精神力、

たしかに、これらがあれば自立できてはいるのだろう。


でも・・・

自立が、目的なのか・・・
それとも、自立は手段なのか・・・

若い頃は当然のように、自立が目的になっていた。



自分がなりたいような自分になれる
自分がやりたいことができる
それが大事なことで、
そのためには道具や手段として、自立が必要なのでしょう。

(語学習得が目的でなくその先の目的のために必要な道具でしかない
語学力と一緒だ・・・)


自分ひとりだけでは足りないものはきっとでてくる。

でもそれは、
それぞれが補え合えればいいのではないか・・・


わが子も、今、
思春期の葛藤の中、
自分が使えるための、たくさんの道具を集めている最中だ。


私は親として、

自立は目的ではなく、
その先にある目的をかなえる道具・手段なのであることを
自ら示せる親でありたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿